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葬儀の日の翌朝、早く、ホテルにタクシーを呼んだ真田春也は、その脚で隣町まで向かった。
まだ朝は日差しが出ているのに肌寒く、春先だと追うのに、息が白くなっていた。
眠そうな目でバックミラー越しに春也の顔を何度もチラチラと見るタクシーの運転手は、町に唯一の信号機で停車すると、何を決心したように探偵に対して告げた。
「お客さん、探偵なんだってね」
信号付近には大きな家が何軒かあり、それを見ながらその家は、どういった経緯で金儲けしているのだろうか、と考え込んでいた春也は、窓の外にあった視線を車内に戻して、バックミラー越しに運転手の、色が黒い顔を見つめた。
「ええ。もっぱら浮気調査や迷い猫探しが仕事ですがね」
半分自分への皮肉も込めた様子で薄い笑みを浮かべた。
「荒木さんところの事件を捜査してるんだろ?」
そう言うと信号が青に変わり、タクシーはゆっくりと発車した。
「これからその調査に向かうんです」
眼を見開くように、興奮気味の顔をした探偵が運転手に言う。しかしどうして運転手が自らの事を探偵だとしり、荒木氏の事件を追っているのを知っているのか?
そんな疑問が瞬間的に脳裡を走り抜けたが、この町の性質上、噂話はすぐに広まることを理解した上で、自らに回答を出した。自分が探偵だって言うことも、ホテルに宿泊していることも、荒木氏の事件を捜査していることも、小さな町ではすぐに広まる。
火事が起こっただけで騒ぎになるほどの町なのだ、当然の結果であろう。
そうと分かってしまえば、探偵の性格は事件のことを口走らずにはいられなかった。
「運転手さんは何か事件についての噂とか知りませんか?」
一直線のバイパスに抜けたタクシーは、そのまま隣町へと走ってく。
平日の朝は流石に田舎の小さな町でも通勤ラッシュなのだろう、車の通りが多かった。
浅黒いタクシーの運転手は、一瞬沈黙でハンドルを握っていたが、すぐに視線をチラリとバックミラー越しに探偵へ流すと、薄い唇を開いた。
「その事なんですけどね、あの事件のあった日に、わたし見たんですよ。荒木さんの家の近くで不審な男を」
思わず咳き込みかけて目を見開いた探偵は、前の座席の間から顔を突き出した。
「いつです!」
猛然と質問する探偵に、驚いてハンドルを揺らし、タクシーが蛇行する。
その遠心力で強制的に座席へと戻された探偵。
運転手は車を立て直し、額に薄く汗を滲ませていた。もちろん冷や汗である。
車を安定させてから、また運転手は唇を開いた。
「警察の発表だと荒木さんが殺された時間は午前5時から6時の間ってことだったんですけどね、わたしその日は隣町で朝方まで飲んでた客を拾って、町まで戻ったんですよ。その帰り道で荒木さんの家の近くを抜けた時に、男の人が歩いてたんです。老人しかいないような町ですから、朝早くに若い男の人があるいてるなんて、珍しいと思ってたら、こんなことになってしまって」
眉毛に困った様子を覗かせる運転手。
「それで、顔はみたんですか?」
運転手にずかずかと矢継ぎ早に質問を投げかける探偵に、運転手の心情を重んじる感情は当然このときはなく、ただ事件に対する意識だけで言動を続けていた。
「背格好は?」
自分が責められているような感覚になる運転手は、何度もバックミラーごしに探偵の顔をみながら、事件当日のことを思い返しながら口にした。
「顔は帽子を深く被っていたから見えなかったんですがね、小柄な男の人でした」
「男になにか特徴は?」
「あまりマジマジと見た訳じゃありませんから、そこまではちょっと。ジーンズに黒いブーツ、ダウンジャケットを着て、黒い帽子を深く被ってました」
新たな目撃情報に興奮気味の探偵は、容疑者たちの顔を脳裡に何度も巡らせる。
「このこと、警察には言ったんですか?」
と、その時隣町の目的地へ到着したタクシーは、ブレーキを踏んで、ハザードランプを明滅させて停車した。
「警察には話しました。容疑者は男だ、とかいっていましたけど。わたし、間違ったことをしたんでしょうか?」
探偵は不思議そうな顔をした。
「警察に証言することは、悪いことではないです。どうしてそう思うんですか?」
「犯人が町の誰かなら、逮捕されるってことですよね? なんか同じ町の人間を売ったような気分で、あまり気持ちがよくないんです」
探偵はマジマジと運転手の顔をのぞき込んだ。
「殺人は法律違反です。人を殺すことは倫理に反します。間違いなく殺人犯は悪人なんです。人の心情とは無関係なんですよ。罪は罪なのです。殺人を犯した人間は、罪を償わなければならない。貴方は間違ったことはしていません」
そういうと探偵はタクシーを待たせて、目的地の前に立った。
そこは隣町の小さなスナックの前であった。
第20回へ続く
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東野圭吾さんの著書がまた映画化されるようです。
筆者も期待が大きいです。