22
出汁のいい香りが店内を包んでいた。筒井美咲の居酒屋では、ちょうど営業の準備を始めていた。
旬のカブをつかったカブラ蒸しを美咲は仕込んでいたのである。
カウンターに座り、美咲がいれたほうじ茶を飲みつつ、三田警部は腕時計の針を気にしていた。
「古川さん、もういい加減帰ります。私も暇ではないのでね」
隣の席の背もたれにかけたコートを手に取ろうとする三田恭一警部。
「今、カブラ蒸しが仕上がるので、よろしかったら味みなさいません?」
のれんの奥から和服に割烹着姿の筒井美咲か、香る笑顔を警部へ向けた。
この良く言えば愛想の良い、嫌味を言葉に混ぜると男を惹きつける彼女の笑顔は、例外なく三田警部の帰ろうとする脚を、その場に止めさせた。
「事件で忙しいのに、申し訳ない」
お茶を飲みつつ、額の汗を拭いながら、古川栄太郎弁護士は、小さくなっていた。
「呼びつけておいて、失礼なやつじゃないか」
警部は美咲の笑顔に胸を焦がしたかと思いきや、やはり呼び出した若者が姿を現さないことへ苛立ちを禁じ得ない様子だった。
警部の不満は沈静化しない。
「事件現場へ土足であがる。事件を勝手に嗅ぎ回り関係者から通報される。迷惑ですよ」
警察官として腕組みしながら、弁護士へ苦情を申し立てた。
「申し訳ありません。ですが警部。彼は事件に対する妙な嗅覚をもっていましてね。最初は私も不愉快に思いました。図々しいですからね。ですが事件に関して間違いなく、彼は何かを掴んだのだと思いますよ」
これまでの経験から、若い探偵がなにかを把握し、それが事件解決への大きな布石になることを、半ば確信めいて弁護士は断言した。
するとそこへ店の扉を開けて、ほぼ探偵本人が、見るからに重い足取りで入店してきた。
深刻な表情は、探偵が大きなものを含んでいるのが理解できた。
「いらっしゃいませ。また寒くなってきましたね」
相変わらずの様子で美咲は、彼の好みのコーヒーをそっとカウンターに置く。
どっかと疲れた様子で腰を下ろした真田春也。
温かいコーヒーを喉に少し流して、枯れ葉が詰まったような首元を潤した。
「落ち着いているようたが、警察官を呼び出すとは、何を考えているんだね、君は」
待たせた人物のことなどまったく眼中にような若者の様子に、憤慨して三田警部は、軽く怒鳴るように言い放った。
店の空気がピンと張り詰めたのに、かまうことなく探偵はまたコーヒーを一口のみ、それからようやく警部の顔を見据えた。
「今から話すことは、あくまで俺の主観で捜査を混乱させる意味でお話するわけではありませんから、それだけは理解してください」
そういうと古川弁護士、筒井美咲を一瞥した。
「まず事件が起きた時間帯に、関係者でアリバイがない人間はいませんでした。犯行は関係者ではなく物取りの犯行と警察はみたてていたでしょう。そうですね、警部」
警部は若者に促されたのを不服に思ったような顔をして、嫌味にうなずいた。
「アリバイがあり裏付けもとれている。現場の状況から判断して物取りの犯行であることはまず、間違いない」
警部は断言した。
春也は頷いて頸部をみやった。
「その根拠は?」
急に鋭くなった青年の顔に、一瞬戸惑いの顔をするも、警部は即答する。
「犯行時刻、付近で不審な男の目撃情報も上がってきている」
「タクシーの乗務員の証言ですね。俺も聞きましたよ。ただ今回の事件の真相へ迫るとき、警察も俺自身にも、思い込み、があったんじゃないかと思う」
警部を責めるわけでもなく、静かに探偵は言った。
「殺害された荒木氏が資産家だったことから、金にまつわる、あるいは恨みによる殺人だと誰もが思った。そして恨みのある人たちに話を聴いて、全員にアリバイがあった。犯人は目撃証言から男だと断定。そこから思い込みは始まっていたと気づいたんだよ」
すべてを思い込みだと探偵は断言する。
警部が自らの捜査に誇りを持っているのは当然であり、探偵の言葉に激高する素振りを見せた。
が、探偵は口を早く、自らの仮説を中断されるまいとする。
「まず、犯行時間に目撃された男を、どうして男だと断定できる。顔は帽子をかぶっていて見えなかった。男の格好をしていたから、犯人は男だ。皆、そう思い込んだ。女性が男の格好をしていた可能性もある」
だんだんと春也の声は声量を上げた。
横に座る弁護士はこのとき、なにかに気づいた顔をしたが、春也は止まらない。
「次にアリバイ。全員のアリバイ確定していて、裏付けもとってある。もちろん警察に落ちどはない。証言している本人も思い込みで証言していたんですから。
俺はここに来る前に、町の酒屋によって来ました。荒木氏が殺害された時刻、酒屋の店主派この居酒屋に酒を届けたと証言しました。美咲さん、そうでしたね?」
探偵の若い目が料理の下ごしらえをする女将に向けられた。
「君は美咲さんを!」
立ち上がった三田栄太郎は、自らが連れてきた探偵を、睨みつけた。
しかし動じることなく、筒井美咲を探偵はみやった。
菜箸を静かに置いた美咲は、ゆっくり甘い香りのする微笑を浮かべた。
「私はあの時、居ませんでした」
驚いた警部は、
「だが酒屋の店主はーー」
と、呆然とする。
探偵は自分が探偵した酒屋の店主の証言を口走った。
「店主は頑なに美咲さんは居たと言っていた。だけど目撃した時の様子を聞いた時、あるルールがこの居酒屋と酒屋にあることがわかったんです。美咲さんがいるときは店の玄関を開けて、いないときには鍵をして、改めて配達をする。つまり美咲さんがいたか居ないか、店主はあの日、目撃したというわけではなかったんです。居酒屋の扉が空いている、つまり美咲さんがいる、そう思い込んだだけだったんです」
この新しい証言に、古川弁護士が血相を変える。
「居なかったから犯人とは限らないではないか。第一、叔父である荒木氏を殺害する動機が美咲さんにはない」
裁判の弁護人のように、春也の弁舌を否定した。
素早く弁護士の顔を指差し、弁護士がいう主張を否定した。
「主観は捨てるべきですね、三田さん。恨みによる犯行と誰もが思います。俺もそう思ってました。だけど犯行現場の織部焼をずっと見てて気になってたことがわかったんですよ」
そういうとスマホを取り出して画像を提示した。そこには抹茶のような色合いの陶器が映し出されていたが、下部がひび割れていた。

「美咲さんはこれをどう思います」
と訪ねられ、筒井美咲は不思議そうな顔をした。
「直感的で構いません」
促されて美咲はうなずく。
「素敵だと思いますけど」
それを聞いてすぐに同じ画像を警部、弁護士に探偵は見せた。
2人は不思議そうに探偵を見る。
「織部焼の始祖、古田織部にはこういう逸話があります。
師匠、千利休が捨てようとした茶道具を受け取ったと。それはお茶をすくう木の道具なのですが、そこにフシがついていて、完璧を求める利休は嫌いました。しかし織部はそれを美しいと呼び、後に『破調の美』というのを確立した。破調、つまり美には一定の美しさがある。シンメトリー、調和のとれた美しさ。万人が美しいものに古田織部は真っ向から立ち向かった。千利休亡き後、新しきことをせよ、という千利休の教えを受け、織部は常に新しい美を追い求めた。その道は時の将軍徳川秀忠をも魅了し、弟子としている。武将として、時の流れを読む才覚のあった織部は、茶人としても優れた嗅覚を持ち、自らの好み〈織部好み〉は日本中でブームを巻き起こした。破調にこそ新しく真の美しさを古田織部は感じたのです。
美咲さん。貴女もそうなのではありませんか?」
歴史の講釈を聞かされた弁護士と警部は、美咲をみひった。
彼女は静かに白い喉を上下に動かすと、また甘い微笑を浮かべた。
「叔父は誠さんとのことを許してくれたんです。彼ならきっと私を幸せにしてくれるって言ったんですよ」
2人の関係を荒木氏が認めた事実に、古川弁護士にとって意外だった。荒木氏は自分の意見をけして変える人間ではなく、まさしく頑固一徹をそのまま人間に置き換えたような人であった。だから近所の人と付き合いがなく、息子とも関係性がうまくいっていなかった。
その荒木氏が態度を軟化させるというのは、古い付き合いの弁護士には、考えられないことだったのだ。
「なぜ、それなら荒木氏を。いや、まだ断定したわけでは」
弁護士が美咲にいうも、自分が美咲を犯人だとした言葉に、うしろめたさを感じた。
「いいんですよ、古川さん。叔父を殺したのは私です。私がこの手で」
「まってください、動機はなんなんです。佐藤誠との関係が認められたのなら、被害者を殺害する意味は?」
三田警部が警察官として、三田恭一個人として、動機がはっきりしない事態に、当惑をかくせずに、美咲を問いただした。
彼女は考えた。自分でもあの時のことを追憶したのである。
「なんでしょうか? 私は叔父がすべてを否定して、不完全な関係性が続くのを、きっと美しく思っていたのでしょうね。古田織部のように、破調に美しさを感じたのかもしれません」
そういうと下ごしらえ中の鍋のガスを消して、カウンターから出てくると、警部の近くに近づいて行った。
「連れて行ってくださいますか?」
最後の彼女のその笑みは、これまでになく美しく、静かな丘に咲く野花のようなすがすがしさもあった。
エピローグ
パトカーが遠ざかっていくのを居酒屋の前で見送る若い探偵と弁護士は、騒ぎを聞きつけて動揺の顔色がそれぞれに浮かぶ群衆の中で、事件の終わりを見つめていた。
赤い光が遠ざかっていくと、自然とその場から波が引くかのように人が家路に帰っていく。
制服警官が居酒屋の前で現場検証の準備をしている。
まだ呆然と現実を受け入れられずにいる古川栄太郎は、いまにも倒れてしまいそうな蒼白な顔色で夜風に吹かれていた。
「君は、君はどこで美咲さんが犯人だと」
ポケットに手を入れ、肌寒くなってきた春先の夜の空に、白い息をあげた。
「だから言ったでしょう。今回の事件は思い込みだったと。荒木氏の書斎には誰も入らなかった。筒井美咲さんも書斎には入ったことがないと言っていました。ですが、あの書斎の電気のスイッチは部屋の入口にはなかった。誰もが部屋の電気のスイッチは壁際にあると思いますよ。しかし書斎は荒木氏が改装して、デスクの横に電気のスイッチがあったんです。彼女は俺が部屋に入った時、迷うことなく電気のスイッチを入れて、それでもなお、書斎には入ったことがなかったと断言しました。だから彼女を犯人だと考えたんですよ」
そういうと事件の終わりをゆっくりとかみしめるように、さらにつぶやいた。
「人の美意識とはわかりません。何が幸せか、幸せでないかなど、他人の価値観で決めつけるものではないんです。美咲さんの幸せは輪郭の歪んだ不完全さにあったのかも」
「不和の美」 完
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筆者あとがき
あとがきとはおこがましいのだが、初めての探偵小説を書いた感想を少し述べたいと思います。
筆者は正直、ミステリー小説をあまり読みません。主にSFや時代物の伝奇、ファンタジーが多く、ミステリーも本棚にいくつか並んでいますが、多くはありません。
それでも探偵という存在には昔から憧れがあり、こうして初めてのミステリー、初めての探偵小説を書くこととしたのです。
しかし小説にミステリー要素、謎要素を入れるのは好きではありますが、それを主人公が論理的に解決するというのを書くのが非常に難しかった。
特に有名な作家の皆様のミステリー小説の出来栄えは恐ろしいほど高く、短編であっても読者をひきつけ、それでいて伏線をはり、犯人を推理させる仕掛けは素晴らしい。さらに大がかりなトリックを考える作家さんはさらにそれを考える頭脳が必要です。
それでも筆者の中には、ある種、探偵を書きたいという欲求があり、こうして書くことに至ったわけです。
真田春也という人物は、どこか失礼なところがありますし、事件のことしか頭にありません。だから事件を客観的にみることができるのです。
作者としてはもっと真田春也を失礼な人間にしたかったのですが、小心者の作者にはあまりずけずけとしたキャラクターは書けないのかもしれませんね。
歴史が個人的に好きなので、歴史を交えた物語にするつもりではありましたが、今読んでみるとあまり歴史が関与していない気もします。
いずれにしてもこのブログ上にはこれからも複数の作品をアップする予定でいますので、長い目で見ていただければ幸いです。
ほとんど言い訳のようなあとがきでしたが、次回の作品を読んでいただけたら幸いです。
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本ということで前に読んでいた漫画が映画になったので、おすすめします。
アニメ版も面白かったですよ。