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会議室。ヘルパー派遣事業所の建物の会議室に通された真田春也と古川栄太郎は、茶色いビニールが貼られたパイプ椅子に腰掛け、茶色い長テーブルを鋏み、向かい側に座るヘルパーの岡本美枝子と対面していた。
「わたし、どうなっているのか、なぜわたしが警察署に連れて行かれたかも分からないんですよ」
あまりに衝撃的な半日を過ごしたせいか、言葉に覇気は微塵もなく、虫の羽音ほどの小さな声だった。危うく会議室の壁掛け時計の針の音に消されそうなほとだ。
「美枝子さん、落ち着きましょう。あなたは第一発見者として話しを聞かれただけです。犯人として扱われた訳ではありませんから、心配しないですださい」
取り繕うように弁護士が汗を拭いながら美枝子を落ち着かせ、話を何とか聞き出そうとしていた。
と、そこにドアをノックする音が聞こえ、1人の若い女性が入室してきた。事務員の女性である。彼女は2人の前にお茶を置いていく。
「僕はコーヒーが飲みたいなぁ」
出されたお茶が自らの前に置かれるのを待たず、遠慮無く事務員の女性へ要望する。
そんな客を相手にしたことがないのだろう、事務員は一瞬戸惑いの苦笑いをしてから、はい、と一言だけ残し会議室をあとにした。
探偵の図々しさに呆れる弁護士とは正反対に、探偵は美枝子へ遠慮のない言葉をなげかけた。
「犯行時刻、午前5時から午前8時の間、貴女は被害者のお宅で朝ご飯の支度をしていたとのことですが、書斎へは遺体発見時以外、入っていないんですか?」
まるで犯人に質問するかの如き言動に、美枝子は猫が怒った時のようにキッと探偵を睨みつけた。
「警察でもお話しましたけど、書斎はいつも鍵がかかっていて、荒木さん以外誰も入れませんでした。それに午前5時から6時の間はまだ事務所にいました。お宅に伺ったのは7時を過ぎてからです。
古川さん、なんなんです彼は!」
怒った様子で春也への怒りを顔見知りの古川弁護士へぶつけた。
困った様子でまた噴き出す額の汗を拭いつつ、弁護士は探偵をみやった。
「美枝子さんは第一発見者なんだから、言動には気をつけてくれ」
探偵はしかし弁護士の言葉など耳には入っていない。事件に対する興味で頭の中はいっぱいだった。
「警察は午前6時から午前7時の間って言ったんですね? となると検死結果が出て事後硬直の状態から犯行時間がその1時間に絞られたようですね」
話を聞いているのか、と言いかけた弁護士に口すら開けさせず、矢継ぎ早に美枝子へ質問を投げかけた。
「美枝子さんは織部焼きをご存じですか?」
「はぁ?」
唐突な質問にヘルパーは愕然となった。
「知りませんか? 元は戦国時代の武将でしてね。武将を止めて千利休の弟子となり茶人になった古田織部がですね、豊臣秀吉の命令で派手さを求めてたどり着いたのが織部焼きという焼き物なんですよ。
そればかりじゃなくてですね、古田織部は一時期、時代の寵児でして彼の好みがこの日本のブームになることもあったんですよ。これは凄いことだと思いませんか」
歴史に関心のない弁護士もヘルパーも口をアングリと開けるばかりである。
「それで美枝子さん、織部焼きをご存じで?」
若者の再びの言葉に美枝子は首を横に振るしかなかった。
「焼き物のことは分かりません。荒木さんはお詳しいかたでしたけど」
「織部焼きはいくらの値段で取引されるかご存じですか?」
知らないと答えたヘルパーがそうしたことをしるよしもなく、首をまた横に振るばかりであった。
話にならない、とばかりに弁護士は事件についての質問へと話しを切り替えた。
「美枝子さんが義男氏の遺体を発見した時、なにか気づいたことはありませんでしたかねぇ?」
美枝子は思い出したくもない事件現場の光景をフラッシュバックのように思い出しながら、考えた。けれども思い出せることはなにもなかった。
「分かりません。普段となにも変わりませんでした。ただ荒木さんか倒れていて、何かの破片が床に落ちていただけでした」
美枝子の話を聞き終えた2人は、外で待たせているタクシーに乗り込んだ。
「結局、事件の手がかりになる話は聞けなかったね」
探偵はしかし満足げに微笑んでいた。
「収穫は十分にありましたよ」
キョトンとする弁護士。
「まず、美枝子さんは犯人ではありません。犯人はきっと織部焼きの価値、織部焼きの由来を知っている人物です。彼女は織部焼きを知りませんでした。嘘をついている様子もなかった。
それと犯行現場の様子ですが、彼女の証言からすると、部屋は争った形跡も荒らされた形跡もない様子ですね。つまり、犯人は顔見知りの犯行ということになりますね」
事件の概要が見えてきて、非常に満足そうに探偵は微笑むのだった。